本を読むために読んでいる人
ふと思ったのですが、
「本を読むために読んでいる人」と、
「実践するために読んでいる人がいるなぁ」と。
ビジネス書、実務書は使うための本ですが、
それでも実践する人はあまり多くはなさそうです。
ちなみに私にとって司馬遼太郎の本は実践の書です。
例えば「竜馬がゆく」にこんなことが書いてあります。
> すわるより歩けばよいではないか。とひそかに考えた。
> 禅寺に行って、半刻、一刻の座禅をするよりも、
> むしろそのつもりになって歩けばよい。
> いつ、頭上から岩石がふってきても、
> 平然と死ねる工夫をしながら、ひたすらそのつもりで歩く。
> 岩石を避けず、受け止めず、頭上に来れば平然と迎え、
> 無に帰すことができる工夫である。
私はこれを読んで平然と死ねる工夫を考えはじめました。
もし歩いてるところへ10tトラックが突っ込んできても、
避けず、受け止めず、平然と迎え、
無に帰すことができる工夫をしながら歩く。
もちろん実際には醜く足掻くかもしれませんが、
いつだってそのつもりで覚悟を決める工夫です。
サラリ。
> 「年上の人を相手に猥談をしちゃならん」
> もともと竜馬は独特の話術の持ち主で、
> 天下国家を論ずるときも男女の卑俗な機微をたとえばなしに使う。
> 大宰府でもそれをやり、三条実美卿をはじめ公卿衆をころがすほど笑わせた。
> そのあと三条卿がその手記で、
> 「坂本竜馬来る。偉人なり」と評価したからまだよいが、
> いつもこの手でうまくゆくとは竜馬はおもっていない。
> 「図に乗って淫談戯論をするうちに、
> どうしてもその語中に見下げられるところが出てくる。
> 年配者は、おもしろがりながらも心中、軽蔑する」
> 猥談の節度がかんじんだ、
> その節度の感覚のある男ならなにをやっても大事を成せる男だ。
はい、年上の人を相手に猥談をしません。
ぐむ。
> 「古来、英雄豪傑とは、老獪と純情のつかいわけのうまい男をいうのだ」
老獪と純情。
ええ、意外と両方持ち合わせております。(笑
ぐふふ。
> 「男子はすべからく酒間で独り醒めている必要がある。
> しかし同時に、おおぜいと一緒に酔態を呈しているべきだ。
> でなければ、この世で大事業は成せぬ」
酔態を呈しつつ、心の中は独り醒めている状態。
ちょっと中学生っぽいですが、気持ちはわかります。(笑
あと文章が見つからなかったのですが、
「男は発言の内容に独創性があるか、
言い方にユーモアが無ければ口を開くな」
というようなことも言っていました。
うーん、これもいいですね。^^
このように読めば歴史小説だって、
十分に実践の書なのです。
【質問】全てが実践に繋がっていますか?
ま、楽しみながら、いきましょう。^^